国営昭和記念公園の紹介
その規模と充実した施設は公園というものに求められる要素のほぼ全てを満たしていると言っても過言ではない。
大規模災害発生時の避難所の機能も持たせて設計されたという昭和記念公園はとにかく広い.
公園外側を一周するように設けられたメインの園路を辿って戻ってくるだけでも5kmを超える距離になり、ただ歩くだけで1時間ほどを要する。この公園でのマラソンはこの外周の周回走で競われる。
国営昭和記念公園の歴史
概略としては、1921年(大正10年)、陸軍省による飛行場用地の買収。翌1922年(大正11年)飛行第五大隊が各務ヶ原から移つり、立川は「軍都」としての姿を整えていった。一方で立川飛行場は、民間飛行場としても重要な役割を果たした。
戦後は米軍に接収され、 1977年(昭和52年)の全面返還まで、軍事輸送基地として米軍の極東戦略における重要拠点としての機能を果たした。
その間、1955年(昭和30年)には、「砂川闘争」と呼ばれる基地拡張反対運動が地元農民を中心に、労働者、学生などの広範な支援を得て展開された。
説明文はホームページWikipediaより引用
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活動中のKSVB会員(最下段中央は川内優輝(埼玉県庁)そっくりさんのM高史さん)